平成14年11月6日、PM3:00富士ロゼシアター前にて、色々な支援物資をトラックに積み込みPM7:00浅間大社にて、安全祈願をして多くの支援者に見送られ出発した。中央自動車道・長野県・北陸道を経由し長野I.Cより新潟入りした。長岡に着いたのが夜中だったため、見通しも悪かったせいか目立った被害も見られず小千谷市に向かった。
小千谷市に近づくにつれ、走行中の道路は起伏が目立ってきて電柱の傾きも多く感じられる状態でした。
AM3:30頃小千谷市役所駐車場に着き、夜が明けるまで車中で仮眠を取った。AM6:30頃明るくなってきたので、表を歩いてみる。まず目を引いたのは、道路(歩道)のマンホールが液体化現象により40cm程突き出していた。舗装もあちこち波打って、完全に倒れている電柱もあった。ごみ処理が出来ないのか、市役所の駐車場に山積みされている。市役所内部の通路には、生ゴミが積まれ通路の半分以上をふさいでいた。
毎日出るゴミの量からしても処理方法が気になる所だった。 |
市役所ロビーで、小千谷市長に面会し、支援の趣旨を説明し義援金を渡す。駐車場にて待ち合わせしていた、神戸のNPO法人(ユーアイ・アソシエーション)の代表に義援金を渡す。彼らは地震発生後、直ちに新潟入りしボランティア活動を行っていたとの事、色々話を聞いていると改めてボランティアの大変さを実感した。
AM8:30配送センターに移動し、直ちに支援物資を搬入した。自衛隊の活躍が目立つ。
飲み物・食べ物・トイレットペーパーなど指定の場所に降ろす。保存の効くものが助かるとの事。生ものは、その日の内に配らなければならないため、管理に困るらしい。作業中に通った車が、物資を溢れそうな位積んでいた。聞くと町内の配給分を代表者が取りに来るらしい。水が不足しているため、ジュース類は喜ばれた。
市の職員と野会談の中で地震直後の話しを聞いてみた。家屋の倒壊が少なかったが、新潟は豪雪地域なので雪に耐えられるように、基礎が高く建物も頑固に建てられているためだそうだ。しかし屋内は足の踏み場も無いほどで、とても生活できるレベルでは無いとの事。地域の特色が減災につながったのかもしれない。 |
物資搬入後、小千谷市体育館に向かう。途中他県からのパトカーを数多く観ました。そこで会った警察のグループに話を聞くと、全国各地から集められた警察官で組織された「雪つばき隊」それらが彼らの名称で、あちこちで見た県外のパトカーは彼らが乗ってきたものだった。パトロールの理由は、犯罪の抑制のため、すでに長岡では、車上狙い、空き巣が多発しているとの事だった。小千谷市体育館を視察、富士宮の体育館位の広さに、1,800人位が避難生活をしているらしい。中に入ると、強烈な臭いに驚く。とても生活が出来るスペースではないと感じる。外には仮設トイレ・風呂は設置されていたが、人数が多いため、なかなか自由には使えないらしい。臭いも含め衛生面が気になる所だった。ここでも、自衛隊の活躍が目立ち、炊き出しでは避難生活に関わる全て人達の食事の支度を全て彼らが用意をしていると聞きました。体育館近くにあるボランティアセンターによってみると、ボランティアの数は多いが専門技術を持った人が少ない為苦労しているようだ。あちこちに「パソコン使えるボランティア募集」の」貼り紙が目立った。
体育館を後にして市内を廻ってみる。商店街には、今までに目にした事の無い要注意の建物が多く、崩れ落ちているシャッター等も目立つ。アーケード沿いの工事が何メートルも続いているが、生活復旧工事なのか?いたる所に工事が目立つ。
商店街から郊外に出てみる。川沿いの道路はあちこちで崩れ、通行止めの所も多く見られた。市内を廻り全ての作業を終わり、帰途につく。 |
長年にわたり、被害を受け続けてきた自然災害に対し、予測できない自然の力の猛威の前では、何ら成す術も無く、ただ唖然とするばかりです。
文明の発達の中で、人災と言われる言葉が生まれるほど災害の内容も多種多様化し、対処の方法も困難を極めています。
今回の支援物資輸送で感じた事は、
◎東海地震が騒がれている今、我々が考えられる防災として
・都道府県・市町村との情報交換
・物資の確保及び保管場所
・ボランティアの受け入れ場所及び窓口チェック
・避難場所での生活スペースの確保
・家具の転倒防止
・空き巣・窃盗及び車上ねらいの防止
・バイク隊の設置等 |